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コラム

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2006年03月18日

第03話 『オックスは失神しなかった!』

中学3年の時かなぁ。
ある土曜の午後、制服のまま大阪梅田までオックスのライヴを観に行きました。
オックスは当時大人気のグループサウンズで、会場の名前は忘れましたが、今でいうライヴハウス(当時はオシャレにも「ジャズ喫茶」と呼ばれてました)でのコンサートでした。

観客はというと、僕以外全員女性。若いオックスファンの女の子の中にただひとりの男、それも丸坊主の中坊。正味やなぁと思いつつ2階の一番前へなんとかもぐりこみ、ライヴが始まりました。

今のコンサートは短くても1時間半、長いのになると3時間ちゅうのもありますが、当時は1日に何ステージもやるため、確か40分くらいの超短いステージでありました。

“ガールフレンド”、“ダンシングセブンティーン”、“スワンの涙”とヒット曲のオンパレード。丸坊主もだんだん興奮してきて、エンディングで起こるであろう“失神”を心待ちにしていました。

オックスは失神バンドと呼ばれていて、ラストの曲“テルミー”(ローリングストーンズ)でキーボードの赤松愛が感極まって失神するパフォーマンスがお決まりとされていました。

ところがどないなことか、淡々と演奏は進み、サササーっとライヴは終了してしまいました。お客さんも不満らしく、なかなか帰ろうとしません。これでオシマイ。「金返せー!」と叫んでいるファンも数名いました。(さすが大阪!!)

まぁ今考えると毎回ウソでも失神するのはしんどいやろうし、これはしゃあないかなーと思うのでありますが、何せ頭の中は”失神”でいっぱいやったもんで、中3の丸坊主は、かなりショックでした。なけなしの小遣いはたいてこわごわ梅田まで1人で行ったのに、どないしてくれんねん、と。

この日を境にちょっとシブイ路線に乗り換えました。
そしてゴールデンカップスにのめりこんでいくのであります。

2006年02月15日

第02話 『知恵熱のおかげで52才の今もロックを』

1970年(多分)レッドツェッペリンが初来日。
大阪でもフェスティバルホールで2日間やってくれました。

早速2日分のチケット(A4ぐらいの大きさの変な切符やった)を買い、1枚目〜3枚目を必死に聴いて、その日を待ちました。
友人達のウワサでは、六甲山のホテルに泊まっていて、ドンチャン騒ぎをして、部屋を破壊してからヘリコプターで会場にやってくるとのこと!! ホンマのようなウソのような話でもちきりでした。本当はハイヤーで会場入りしたそうです。普通やナァ。

そして、前から3列目の真ん中のシートで興奮して待ってると始まりました。
”移民の歌〜ハートブレーカー”、知らん曲(ブラックドッグ)、”あなたを愛し続けて”と続き、怒涛の3時間30分。
途中、メンバーがイスに座ってのアンプラグドとなり、周りで「なんやフォークかいナァ」とブツブツ言ってたのが印象的でした。

とにかく、すごすぎる音にやられました。
もしこの日のライブを観ていなかったら、僕は今ロックをやってなかったやろうなと思います。
今までたくさんのライブを観てきましたが、この日のツェッペリンが今でもダントツNo.1です。

そんなこんなで興奮したまま朝を迎え、体調の変化にビビッた。
えらい熱が出てまして、計ると39℃を超えている。
松井病院に行ったら、「風邪でもなんでもないただの熱や、寝とけー」と言われ、泣く泣くその日のライヴはあきらめました。 残念でなりませんでした。

ひょっとするとあの熱は知恵熱ちゅうヤツやったんかなぁ、と。
あのツェッペリン熱のおかげでいまもロックをやれてるんかもしれません。
イギリスの方に足を向けて寝たらバチがあたりますナァ!!

2006年02月02日

第01話 『オカンはタカラジェンヌ』

母が宝塚歌劇団出身(なんとタカラジェンヌ!)で0才の時から月に2回は宝塚を観に行ってました。 オーケストラボックスから響いてくる音に子供心がくすぐられたのが音楽を始めるきっかけです。ドラムに強く憧れてました。

小4の時、TVのCM(7UPのCM)から流れてきたヴェンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」にイカれて、小5で初めてギターを買ってもらい弾き始めました。 となりの家のケンちゃんと一緒に演奏してましたが、今思うと僕のパートはベースでした。何も知らない古き良き時代です。


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○中3で初めて買ったギター”エルク・カトラス”をプレイ

中学の時は、グループサウンズ。タイガーズ、テンプターズ、スパイダース、オックス、ジャガーズ、 一番好きやったのはゴールデンカップスでした。外国のかをりがしたんです。 (SONS OF BLUES時代、ルイズルイス加部さん、ミッキー吉野さんとセッションした時はホンマうれしかったです。)

中3の修学旅行で東京へ。夕暮れ時、六本木あたりを走るバスの車窓からフィリップスのネオンサインが見えました。 それはテンプターズのレコードのマークでした。この日、グループサウンズになることを決めました。

15才、高1の時、初めての洋楽。ストーンズの「Tell Me」をコピーしました。イントロに超苦戦。

高校は計5校行きました。長い長い高校生活でした。 知人の紹介で神戸のマリスト国際学校に入学。その後、ネバダ州、ハワイ州の高校へも行きました。神戸のマリストやアメリカの高校はその頃からロックンロールな雰囲気バリバリで、ダンスパーティでのLIVEがうれしくて仕方なかったです。最新のバンドのレコードがいちはやく聴けたし、ありがたかったです。

次はツェッペリンを観た時の話をします。

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