アンルイスとブラッドショットのライブ、歌番組等への出演は順調にいっていました。もうキイボードを弾くこともなくなっていましたし、ギターを弾くのが楽しくて楽しくてしゃあなかった時代です。ひょっとしたらこの頃のプレイがギター人生の中で一番良かったかも知れんなあと思う位ええ感じで弾けてました。アンとバンド、スタッフの方たちとのコミュニケーションもバッチリで、バックバンドをやってるという感覚は全くなかったです。ホンマええ環境でやらせてもらっていたなと思い出す時がようあります。
この頃58年製のギブソンレスポールモデルのサンバーストとゴールドトップをライブで使っていたというのも今となってはなんとも贅沢な話で、よくもまあネックも折れず何のトラブルもなくてよかったなあと。その2本のギターはもう僕のところにはないのですが今でもええ状態で弾かれているかなあ?
そんなある日の晩、なんとも不思議な夢をみました。夢の舞台は車の中。登場人物は、ツイストの世良君と鮫島君、それに松浦の3人でした。何十年も前の夢やからボヤーッとした記憶ですが、僕が後部座席に1人で座っていてゴッツイ前のめりの姿勢で話を聞いていると鮫島君が『松ちゃん、ツイストに入れへんか?』と唐突に言い出し、世良君はただうなずきながら運転してるだけというそれはそれは夢らしい夢でありました。
数日がたち、大阪での仕事の帰りに心斎橋にあった桑名君のライブハウス「ゴーストタウン」へ打上げに行ったときのこと。僕達にごく近い音楽関係者の1人が「今度、松ちゃんツイストに入るねんてなあ!」といきなり言うではありませんか。僕は夢を思い出しつつも『そんな話でたことないで。レコードで弾いたり、ライブに1回飛び入りしたからそんな噂が出たんちゃうか」と冷静を装いましたが夢をみてから数日しかたってなかったのでゴッツイびっくりしてしまいました。
かといって誰にも話すようなことでもないし、しばらくの間微妙な気持ちで暮らす日々が続きました。仕事は順調にいってましたし、Q,sBarでツイストのメンバーにあっても特にそれらしいことは言わないし。夢はやっぱり夢やと思ってたそんな時、ツイストのマネージャー安井君が会いたいと言ってきました。これにはさすがにドッカーンときました。「夢」「噂」「電話」の三点セットにこれはえらいことになってきたぞとは感じつつも安井君の家に行くまでは何なのかはわからへんし、まあ話を聞こうと自宅アパートから10分ほどの安井君宅がどれほど遠く感じたことか。
安井君はいつものように、ニコニコ迎えてくれました。そしてずーっと洋楽の話をしました。安井君はロックが大好きでロッドステュワートのロックンロールのリズムギターの弾き方は日本人には難しいんやとかおもろい話をいっぱいしました。そして数時間がたった頃『松ちゃん ツイストのメンバーにならへんか?』と京都弁でボソボソ話し出したのでした。
僕は本心を言えば跳び上がるほど嬉しかったです。しかしそこに全く問題が無いわけではなく、頭の中はちょっとしたパニック状態やったです。もちろん即答は避け、自分の事情を話し、アン、ブラッドショットのみんな、ワタナベプロの清水さんはじめスタッフの方、すべての了解が得られてからの話にしてくださいと言ってその日は帰ってきました。
さあ、えらいことになったぞ。誰にどこから話すか。どない考えても2つのバンドのかけもちはでけへんし、正直ツイストには入りたい。ここは本当のところを皆さんに打ち明けるしかないと思いまずバンドに話を聞いてもらいました。ブラッドショットのみんなとはホンマに仲がよかったので(その頃も毎晩修学旅行状態が続いていました)言い出しにくかったけど全てを話しました。みんなはよう理解してくれました。バンドにとっては深刻な問題やのにギャグを連発しつつのいつもの調子で「松ちゃんがいちばんええと思うようにやりいよ」と言うてくれました。5人で(キーボードの平井君が3月から参加したのでこのときは6人)東京へ出てきてから半年も経たないのに自分が身勝手に思えてしゃあなかったです。みんなは『アンと清水さんにも同じように話すねんで』と言うてくれました。清水さんも最初はビックリしておられましたが、気持ちよく了解して下さいました。
アンはその日ラジオ番組出演のため大阪にいました。帰ってきてから会って話すのがスジやと思ったのですが、そないするとアンだけが知らんことになる。これは一刻も早く話した方がええと思い夜中に電話しました。長い電話になりました。アンにしたら寝耳に水の話やし、バンドの調子が良かったし、人間関係もよかったのでどうしたら良いのか、話の途中で二人ともどないしたらええのか分からなくなってしまい、時計をみたら4時間程経っていました。このときはホンマつらかったです。そして僕は本音をいいました『僕は自分のためにいきたいねん。アンみたいに有名になりたいねん。自分勝手もはなはだしいし裏切り物と言われてもしゃあないと思ってる』ストレートに僕が言ったもんで、アンも笑い出して「これから松ちゃんのこと、裏切り者の松ちゃんと呼ぶことにするわ」とツイストへいくのを理解してくれました。
話は飛びますがアンと10年ほど前、ロスのスタジオで再会した時も『ハーイ、裏切り者の松ちゃん、久しぶりじゃん!』とハグしてくれました。あの電話のとき以来アンは松ちゃんの前に必ず「裏切り者」をつけて僕を呼ぶようになりました。テレビ局であろうと、どこであろうと必ずそう呼びました。次に会ってもきっとそう呼ぶやろうし、そうあってほしいもんやと思っています。
6月いっぱいは一緒に活動を続けることになり、特に水戸でのライブが考えられへんくらいええライブやったので、ホンマにこれでやめてしもてええもんやろかと戸惑ったりしました。バンドを離れるのはさみしかったけれどアンとブラッドショットのみんなが気持ちよく僕を送り出してくれたことがどれだけ有り難かったことか。
7月に入り引越しをしましたが、新しいアパートを246(国道246号線)を渡って1分半位の近場にしたもんやから、活動範囲は前のまんまで毎晩の合宿状態に変化はみられませんでした。
ツイストに入ることは内々決まりました。そしてまずは夏のイベントでゲストとして参加することになりツイストの楽曲全部を覚えるため米子に1人合宿に行くことに。
米子には遠藤君という友達がいましてあれこれ面倒をみてもらいました。大山の麓に小さな山小屋を借りそこで全部の曲を覚えました。遠藤君には「ちょっと新しい曲作りたいねん」としか言ってなかったのでゴッツイ不思議な光景やったと思います。なにしろ作曲と言いつつ『宿無し』や『燃えろいい女』をツイストのレコードに合わせて何度も弾いてるだけなんですから。さぞ奇妙な作曲に見えたことか。ホントはバレバレやったんやろと思いますが何も言わずによくしてくれました。すごく懐かしくて可笑しな思い出です。
東京へ戻りツイストのメンバーとのリハーサルが始まりました。山篭りのおかげで1回合わすとどの曲もええ感じに決まりウマさんとのコンビネーションもバッチリで練習はスムーズに進んでいきました。
札幌郊外での野外コンサートが初めてのライブになりました。でもまだゲストギタリストやしラッキイなことに桑名君のバンドもいっしょやったのでこれは緊張せんでええわと始めは楽勝にかまえていました。ところが本番30分ほど前から急にトイレが近くなりなんと7回もいく破目に陥りましてメンバーのみんなに腹を抱えて笑われてしまいました。この調子でいくと、つま恋ライブでの5万人の観衆に果たして耐えられるか否かが自分の中の大問題となってきました。ところがライブが始まるとそんなビビリはどこへやら。北海道の乾いた空気がギターを弾くにはドンピシャでいつもよりかえって調子がよかったくらいのええライブになったのでありました。これでつま恋ライブもひと安心やなーとツイスト、桑名君のバンドとの合同大打上げ大会の夕べはいつもにもまして楽しい会になったのでありました。