mobile site

« 第32話 解散するとハワイに電話がかかってきた | メイン | ギター・マガジン 2008年12月号松浦善博スペシャル・セミナー【付録CD連動】掲載 »

第33話 ツイストのあとのコロッケ

いよいよ最後のコンサートツアーが始まりました。とは言っても大阪厚生年金会館での1公演と新宿コマ劇場での3公演という最後にしては以外にさっぱりしたツアーというよりは特別公演といったほうが正しい形のライブでした。コンサートタイトルは『ウイニングショット』解散やのにウイニングショットとはこれいかにと思われる方もおられると思いますがええタイトルやったと思います。

まずは大阪厚生年金会館です。メンバーの家族、友人たちで楽屋は満員電車のごとくでその賑やかな記憶はゴッツイ残っていますがコンサートがどないやったかが正直思い出せない。コンサートのあと何処で打上げの食事会をしたのかすらも記憶に残っていません。そうや、結果的にライブは作本光弘とのツインギターで大上明は参加しませんでした。ホンマに残念なことでした。明君の体調は回復していたので僕はいっしょにやるつもりでいたのですが。でも新宿では何曲かいっしょにやれたので良かったなと思っています。

東京への移動は1人でした。一日オフがあったので神戸に帰ったんやろうと思います。きっと神戸の実家でずっとゴロゴロしていたんでしょう。
東京へ向かう新幹線で名古屋に到着する寸前にトイレに行きました。用を済ませて席に戻ろうとした時偶然大阪のライブを観ましたというファンの方が話しかけてこられて『すごく良かったです。残念です。解散しないで下さい』というような立ち話をしていましたら新幹線のドアーが閉まった。

『アー大変!!!!!電車止めて』と急に叫びに近い悲鳴を上げたので、一瞬僕は何が起こったのかわからなかったのですが、よーく話を聞きますと、その方は名古屋在住でまさに下車の体勢に入ってる真っ只中偶然にも僕と遭遇して降りるタイミングを逃してしまったという、非常に珍しい状況がそこに発生していたのでありました。

さすがの僕もどないしてええものか参ってしまいました。いまさら新幹線は止まってくれないのは百も承知ですし、次は東京なのでこの時点で最低限、帰宅が4時間は遅れるのは明白。(1981年当時東京~名古屋間はひかり号で2時間かかっていました)ましてや携帯電話などあるわけないし、名古屋~東京の往復切符も追加料金として請求されるであろうし。その方は途方にくれてしまいました。いろんな作戦をそれから練りました。

とにかくずっとトイレに座って東京まで行って、トンボガエリでまたトイレ大作戦で名古屋に戻る。これしかないと最初は考えたのですがコイツはいわゆるキセル乗車という類の犯罪行為になってしまう。往復のお金持ってるか?と聞くとちょっとしかないという。そしてぼくの財布にもちょっとしかなかった。ましてやクレジットカードを持っているのは総理大臣くらいの時代???の話であります。

ヨッシャ、ここは正直に車掌さんに事情を話そうやないかということに決定し、ちょうど通りかかった年配の車掌さんに全てを話しましたところ、粋なはからいとはこういう時の為の言葉やなあと思えるような答えが返ってきました。

まずは名古屋で降り遅れてしまって、ひかり号なので次は東京。これはいたしかたないことなのでハンコを切符に押しますので折り返しすぐのひかり号で名古屋まで戻って下さい。料金は必要ありません。名古屋駅の改札にも連絡しておきましょう。ただし席には座らずデッキにいて下さい。
何と粋な話やと思いませんか?やっぱり国鉄時代は人間味があって良かったなあ。   

その名古屋の人は無事家に帰れたかなと、あらかじめ聞いておいた番号に時間を見計らって電話をかけてみますと『今、帰宅しました』、という元気な声を聞き一件落着!ほっとしました。これが大阪公演?での懐かしい思い出です。

新宿コマは2DAYSで1日目は2回公演でした。楽屋に入りますと誰かが向こうを向いて正座している。誰やねんやろとよく顔を見ますとサザンのベースの関口君でした。何やら神妙な顔つきでいつもとちゃうなあと感じました。きっと僕たちの最後を関口君なりの表現で迎えてくれたんやろなと思います。

2回公演をやるのははじめてやったのですが全然疲れはなかったです。オープニングで回り舞台が回転してメンバー登場というのにはちょっと笑えたけどライブの内容はゴッツイよかったと思います。まず全然解散コンサートやと感じなかったのが一番。涙の「な」もでなかった。楽しかったし安定したバンドサウンドでまずは一日目無事終了。

オフコースの鈴木康博さんが観にきておられたので食事に行こうということになったのですが楽屋口から出られへんくらいファンの方達がいますと報告を受けたら鈴木さんが一言。『正面玄関から出ようよ。それが一番』とおっしゃるのでふらふら後ろをついていったらホンマにだーれもおらへん。さすが鈴木さんです。恵比寿でおいしいイタリア料理をご馳走になりギターの話をいっぱいしました。お互いのバンドの話は一切なし。ホンマに楽しい食事会でした。

鈴木さんもギターが大好きで後日エコープレックスをいっしょに買いに行ったりしました。その頃僕はオフコースが大好きやったのでよくコンサートを観に行かせてもらってましたがあの当時の日本のバンドで一番ええ音だしてたのは間違いなくオフコースでした。コーラスを音程よく歌うにはこうするんだよ、とかいろんなことを鈴木さんから教えてもらいました。

さあいよいよ最後の日がやってきました。この日は1回公演なので前日よりちょっと力が入っていたかも知れません。さすがに最後かと考える一瞬が何度となくありましたがええライブやったと思います。アンコールでは歴代のギタリストがそろってレーナードスキナード×2みたいな爆音でした。世良君はさすがに感きわまった感じに見受けられましたがそれでもいつも以上に激しくそして丁寧に歌っていました。よーく考えたら最初からのメンバーは世良君と神本君だけやもんな。2人が一番ホンマはさみしかったんやろなあと今この文章を書いていてやっと気づきました。

無事全ては終了したのですが打上げの食事をどこでしたのかの部分が消えていまして、食べることが大好きな僕にしては大阪も東京も憶えていないのがちょっと不思議で。ウーン、やっぱり思い出せんです。
次に憶えているのは2次会のスナックでのまだ有名になる前のコロッケさんたちのコント大会のシーンです。作本光弘君が言うにはとんねるずの木梨さんもいたらしい。とにかくお腹と背中がひっくり返るくらい面白いギャグをコーラを口から吹き出しながら見せてもらいました。とても解散ほやほやのバンドの姿ではないくらい笑いました。これが憶えていることの全てです。欠落している記憶がいっぱいです。やっぱり最後やったからなんやろなあ。

3年足らずのツイストでの活動でしたがこの3年間がなかったら今僕はきっと現役で音楽をやれてないやろうなと思います。メチャ忙しかったけれど、行ったり来たりのロックンロールバンドでした。楽しい思い出。悩んだこともありました。そやけどツイストのメンバーだったことを誇りにこれからも前進したいと考えています。

さあ、次回は何を書こうか?自分の歴史どうりにいくのか思いつくままに書くのか、どないしょうか考えておりますが出来るだけ早くアップしますので楽しみにお待ち下さい。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://newtraxx.co.jp/matsuura/column/mt-tb.cgi/50

コメント (2)

IMA:

次のネタ、よひ塩梅のときに
広島ピースコンサートでの再演にまつわる
気分心情、あれば裏話し等を
読んでみたいです。

たれぱんだ:

ぱんだも新宿コマでのライブの様子は全く覚えていません。
でも、泣きながらライブを見ていた記憶はあります。
記憶が飛んでしまうほど、当時のぱんだにとっては悲しい出来事だったのだと思います。

ただひとつ、最終日のライブの最初と最後の曲は同じ曲だったと思います。
アンコール・アンコールでやる曲がなくなってしまうほど…
だったような気がするのですが…

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

ヴォーカリスト募集!

About

testtagに投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「第32話 解散するとハワイに電話がかかってきた」です。

次の投稿は「ギター・マガジン 2008年12月号松浦善博スペシャル・セミナー【付録CD連動】掲載」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

track feed
ドメイン所得が格安! ホスティングサービス・パンドラ
[admin]  
[ed]