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第34話 解散したのにアレレー?

明けて1982年、ゆっくり正月休暇をとる間もなく葛城ユキさんのレコーディングが始まりました。有り難いことであります。古い記憶なのでひょっとすると1981年の暮れからスタートしていたのかも知れませんがユキさんの前作には曲の提供はさせてもらったもののギターを弾くことが叶わなかったので満を持してのレコーディング参加でした。僕が作詞、作曲した「YOU’VEGOT THE POWER」を採用してもらいアルバムタイトルもPOWERに決まったのは本当に光栄でした。

そしてPOWERの次のアルバムのタイトルが「LA SPILIT」でアイドルワイルド サウス時代の「MY DADDY」と「DAYS OF BOOGIE」をカバーしてくれて、それもLA録音そしてTOTOのメンバーが演奏という僕にとっては夢のようなお話で。当時のTOTOといえば飛ぶ鳥落とす勢いの人気バンド。ルカサーさんやポルカロさんが演奏するという巨大プロジェクトに果たして僕の曲は通用するのか?と一瞬の不安もありましたが出来上がったアルバムを聴いてひと安心。ええ演奏してはりました。短い時間でのセッションやからちょっとラフかなとも感じましたがホンマモンのビートはさすがでした。

話は前後しますが2月26日にユキさんのコンサートにも一度だけですが参加して82年は順調にスタートしました。

バンドが解散してソロアルバムのお話をツイストが所属していたレーベルからいただいていたので曲作りをはじめました。そしてレコーディングやライブをいっしょにやってくれるメンバーが決まりました。ベースは元ダウンタウンブギウギバンドの新井武士さん。ドラムは同じくダウンタウンの吉岡たかしさん。ギターはバンザイのデカパンこと依田稔さん。キーボードはアイドル時代からの盟友、難波正司さん。

まずは東京と神戸のチキンジョージでのライブに向けてのリハーサルが始まりましたが難波君がどうしてもアメリカへ行かなければいけないことになり悩んだ末に神本宗幸君に御願いすることになりました。なぜ悩んだかといいいますとツィストが解散したばかりなのにすぐいっしょにやるのはいががなものかという、建てまえというか微妙なバランスを考えたのです。が、しかしやっぱり神ちゃんがええという結論が自分のなかで出て電話してみました。答えは一発OKでメンバーがやっとそろいましてなごやかなリハーサルが始まりました。

ダウンタウンブギウギバンドも解散ほやほやだったのでほやほや4人とデカパンという楽しい5人バンドでありました。デカパンはアンルイスさんのバンドの僕の前任ギタリストだったので気心が知れていましたし5人はすぐ意気投合して僕のソロバンドというよりセッションバンド色が濃いバンドにしました。実際5人ともリードボーカルをとる当時の日本では珍しい形体のバンドでありました。5月何日かは忘れましたが渋谷のライヴイン82というライヴハウスではじめてのライヴを決行しました。解散から半年も経たないのでちょっと早いかなとも考えましたがとにかく前進あるのみです。おかげさまで満員御礼で演奏もバリバリでゴッツイええライブでした。

そやけどアンコールが終わっても誰も帰ろうとしません。もうやる曲もありません。楽屋でどないしょうと言うてますと世良君と鮫ちゃんがやってきて「ほな、1曲やろか」ということになり金ちゃんはそのとき観にきていなかったので吉岡君に手伝ってもらってツイストの曲をやりました。お客さんは全員総立ちで「なんじゃ、こりゃ。さっきまで静かに楽しんでくれてたのにいきなりこれかい!」とちょっと微妙な感もあったりしましたが、まあ初ライヴのご祝儀的&突発的出来事ということで演奏者も観にきてくれた全ての人が大満足の夜やったです。

しかし実はこの日だけやなかったんです。6月か7月の2度目のライヴイン。この日はサザンのメンバーや金ちゃんも観に来てくれていました。本編が無事終了しサザンの大森君達とのセッションがはじまりますとさっきまで静かに楽しんでくれていたはずのお客さんが立ち始めました。そして真打ち登場。今回は金ちゃんもみっちゃんも明君も登場。ひょっとして現役時代より盛り上がってるんとちゃうかなという光景を僕は冷静にみながら演奏していました。なんで解散したのにいっしょにやってるんやろ?これは神ちゃんがあの時言った「黙ってフェイドアウトしようよ。そしたらいつでもできるんじゃないの」がやっぱり正解やったんかなあ。

いやいや、元のメンバーが僕を応援しに来てくれてるだけや、と解釈するほかなかった。本当に有り難いことです。そしてこれをずっとやったらアカンなあともこの夜確信しました。これでは他人の名前で出ていますになってしまうもんね。仲間の助けは必要やけど1人で立たなアカンと心に決めました。

大阪のライヴでもゴッツイことが起こったことを書いておかなければいけません。
いつもの調子でゆったりライヴをやっていますと後ろの方で何人かが手を振っている。誰やろかとよーくみますとサザンのメンバーやった。そしてあろうことかサザンオールスターズは僕らのライヴをステージジャックした。何曲やってくれたかは忘れましたがそれは正真正銘サザンオールスターズのライヴでした。

当然お客さんは狂喜乱舞。ステージを降りたサザンのメンバーは梅田の街へ消えて行きました。今思い返すと考えられないことですが僕のライヴではこのような自然現象がよく起こっていました。今度ゆっくり思い出して誰がセッションにやってきてくれたかを書きますね。
しかしレコードに関しては実は良くない結果が待っていました。今でいう内定取り消しであります。時代の先端児でしょう?いや違うか!!

先にも書いたようにツイスト時代のレーベルとの契約が進んでいまして本部長さんと担当のディレクターと政治家が行くようなお座敷料亭でひとつよろしく的なミーティングを行ないデモテープも予備会議ですでに聴いてもらっていたのであとはレコーディングを待つばかりの日々を過ごしていたのですが、ある日を境に担当ディレクターと連絡が取れなくなり自宅に電話しても折り返しがないし、アレーとは思っていたのですがまだマネージメントをどこにお任せするかが決まってなかったので自分で連絡するしか方法はなく、仕方なく丁度昔からお世話になっていたT 氏が同社のディレクターだったので聞いてみると「松浦、おまえマジで何も知らんのか?この前の本会議で松浦のアルバムは中止と決まったんやで。オレはあまりに変な話なので部外者やけどなんで中止かと質問したけど答えてくれなかったな。」

僕はT氏から契約がなくなった話をきいただけでレコード会社からの正式なお断りを聞いていない。まったく理不尽な話ではありますがここはいっちょう荒波に飲みこまれないように気をつけて世の中渡っていかんと大変なことになるなあと身を持って知った次第で。

ホンマは内定取り消しの本当の理由を知りたかったが聞かずに済ませた。聞いてもないもんはないもんと捉え新しいレコード会社、そして所属事務所を探す日々が始まりました。そんな時宇崎竜童さんの事務所から電話があり宇崎さんの新しいバンドに鮫ちゃんといっしょに参加しないかというお話を頂いた。捨てる神あれば拾う神ありであります。正直落ち込んでいたのでメチャクチャ嬉しかった。

さて宇崎竜童&RU6のお話は次回ということで今年1年いつアップされるか分からない僕の四方山話にお付き合いいただき有難うございました。次回は来年になります。皆様、どうぞ良い2009年をお迎え下さい。新しい年がよりいっそう素晴らしい年になりますように。

2008年12月26日  松浦善博

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コメント (2)

たれぱんだ:

あやふやなぱんだの記憶・・・

葛城ユキさんのライブは見に行きました。
寒かったという記憶しかなくて2月26日だったのですね。
LIVE INNのライブも見に行きました。
わ~い\(^0^)/と皆で大盛りあがりしたという記憶しかありません。
RU6のライブも見に行きました。
鮫ちゃんやTAKEさんも参加していたなぁという記憶しかありません。

来年も松ちゃんの記憶についていかれるように頑張ります。


皆様風邪などひかれませんよーに。
良いお年をお迎え下さい。

yau:

RU6は、よくファイティング80sで拝見していました。
ツイスト解散後、松浦さんと鮫島さんの姿が見れる唯一の、
大変楽しみにしていた番組でした。

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