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新年明けましておめでとうございます。第35話 宇崎竜童&RU6

新年明けましておめでとうございます。2009年のお正月はいかがでしたでしょうか?
今年は春には待望のシングル、そして出来上がり次第ニューアルバムと張り切って活動していきます。KISS‐FMのSLIDIN’&RAMBLIN’もより良い番組にしていきたいです。そしてコラムもハイピッチで書く?つもりでおりますれば、相も変わりませず応援の程宜しく御願い奉り候。(年末、黒澤明監督作品の観すぎで文章が怪しくなってきましたのでさっそく35話に突入いたします。御免。

第35話 宇崎竜童&RU6
宇崎さんとはファイティング80というテレビ番組にツイストで何度か出演したのをきっかけに顔見知りにはなっていました。前回書きましたようにダウンタウンの新井さんと吉岡君とバンドを始めていましたので全くの初対面というわけではなかったのですがはじめてのリハーサルに行く時は少し緊張が入っていたやもしれません。ツイスト時代からの伝統である鮫ちゃんとの待ち合わせも健在で仲良く四谷の某スタジオへ向かいました。(ひょっとしたらリハーサルの前には事前の顔合わせ的なミーティングがあったかも知れません)。

ご存知のようにダウンタウンブギウギバンドのギタリストは和田静男さん1人だったので
てっきり僕は1人でギターを担当するものと考えていました。ところがいざ蓋を開けますとなんと横内タケ君(TENSAW)小針かつのすけ君(後の竜童組のギター)、そして宇崎さんもギターを弾かれるので僕を入れて計4名のギタリストの揃い踏み。まるで寺内たけしとブルージーンズのような、そして飽きる程言ってますがレーナードスキナードにまたギタリストの人数で勝ってしまうという大所帯のバンドが結成されたのでありました。キーボードはラッキー川崎さん、ドラムは辻野リュウベン君、ベースはもちろん鮫ちゃんで合計7人。今でいうところのサポートバンドでありますから宇崎さんの望むイメージの演奏をするのが僕達の役目。リハーサルはなごやかには進んでいましたが、ことがギターのアンサンブルに及ぶと混迷を極めましたのもこれまた事実。

どうゆう風にパートを分けたのかは今となってはうっすらしか憶えていませんがまるでガンズの新しいアルバムのギタリストの数に近い人数なわけですので正直、曲によっては2人くらい弾かずに休憩したほうがバンドの音としてすっきりはっきりするのではないかなと僕は秘かに考えていました。そしてなるべく抑えたプレイに徹しようと心がけました。でも曲によっての休憩はありえないので苦肉の策?として何曲かでぼくはキーボードを担当することに相成りまして、なんちゃってではありますが昔のようにシンプルなオルガンや初挑戦のシンセサイザーの簡単なフレーズとか、これはこれでなかなか楽しい経験ではありました。

リハーサルもバッチリまとまってきましたのでツアー前の合宿のため河口湖か山中湖へ行くことになりました。基本的に合宿は嫌いやったのでどちらの湖かは忘れました。(しかし合歓の郷だけは別格で心の故郷くらい好きやったです)。

アイタタター、また合宿かー、と内心では深く悲しんでおりましたがそんなことは言えた立場ではありませんし、鮫ちゃんもおるからひと安心やし、そして何よりも僕が考えていたより日数も短かったのでギターパートを考えたり、ラッキーさんからさらなるオルガンのテクニックを伝授してもらったりしてるうちにあっという間に合宿打上げ。合宿所にお化けが出たりすることもなく無事東京に帰りほっとしました。

そしてツアーが始まりました。何しろ大所帯なもので移動も大変。マネージャーは僕達をまとめるのにきっと四苦八苦していたはずやと思います。でも会場に入れば後は百戦錬磨の集団だけに本番前のリハは超スムーズでした。

宇崎さんはダウンタウンの時の楽曲をほぼ封印して新しい宇崎竜童を表現するのに苦労されたと思いますがさすがに超一流。ステージの運び具合は抜群でした。ご存知のように奥様、阿木耀子さんとの名作の数々を演奏しました。ツイストとはまた違うロックがそこにはありました。下手に歌えば歌謡曲にも聞こえるであろう曲を見事にロックに昇華させる。

これが宇崎さんの真骨頂だと毎日感じながら演奏していました。ツアーですので曲順は毎日同じなのですがその日によって歌の表情が変わるのも楽しみでした。殆んどの曲が阿木さんとの間に生まれた子供のような作品ですので感情の入り方がすごいなあとギターを横で弾いてて本当に勉強になりました。ただ困ったことがひとつだけありました。

本編の途中にメンバー紹介があるのですが「オン ギター マツウラヨシヒロ」と紹介される時、決まって僕はキーボードの場所に立っていたことです。ギターと言われているのに鍵盤の前にいる。これはお客さんも笑えたと思います。事実、紹介時に客席からクスクスと笑い声が聞こえた時もありましたが僕は当時からこの性格でしたのでむしろそれを楽しんでいました。困ったといえばツアーも後半にさしかかりバンドも随分慣れてきたある日のアンコールでの出来事なのですが鮫島秀樹が突然何を思ったのか「港のヨーコ 横浜、横須賀」のイントロのあの名フレーズを弾きだしたんです。最初僕らも、そして一番ビックリしていたのは宇崎さんでした。しかーし会場は大盛り上がり。こないなったらやらな
しゃあないとひとり入りふたり入りそして宇崎さんのあの語りが始まりました。僕はそれでもギターを弾かずにその光景を見ていたのですが正直メチャかっこ良かったです。

打上げで宇崎さんが「鮫ちゃん、頼むよ!!!!!」と笑いながら怒った風でも嬉しい風でもなく話してたのも印象的でした。僕は宇崎さんもホッと一息といったところやったんちゃうかなあと感じた次第で。後で鮫ちゃんに「宇崎さんホンマは怒ってんとちゃうか?」
と問うたところ、鮫「大丈夫!、大丈夫!」と例の調子で自分がやったことに対しての責任感どころかヨッシャこれでええんや的自信に満ち溢れてる態度に僕は鮫ちゃんも相当やるなあ。しかし受け止めた宇崎さんはゴッツイなあとお2人に対して新たな尊敬というか自分にはないアートな部分を垣間見たと言いますか。とにかく素晴らしく楽しい日やったことをついこの間の出来事のように今思い出している次第であります。

最初から企画バンドだったのでほぼ1年ちょいでバンドはお開きとなりましたが嫌なことひとつなく楽しいバンドマン生活をおくれたのは宇崎さんと事務所のスタッフの方々のお蔭やったなあと改めて思いかえしております。もう一度行きたかった沖縄でのライヴ&伝説のヒバチステーキにも行けたし最後のライブは確か熊本城の中の広場だったと記憶していますが楽しい1982&1983年でした。
もちろん宇崎さんとの活動の合間をぬって自分のソロライヴもやっていましたし、レコーディングも同時進行で進んでいました。そのあたりのお話は次回ということで。御免!!!


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コメント (3)

たれぱんだ:

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

こちら(関東)はとてもいいお天気で清々しいお正月を迎えました。
みなさまのところはどうでしょうか?

RU6もおぼろげな記憶しかなくて、でも竜童さんの♪身も心も(タイトル合ってるでしょうか?)にはすごく感動したのを覚えています。
ライブ後、ぱんだと友達が新宿厚生年金会館の前でボ~っとしてる所を鮫ちゃんが車の中から見ていたそうで、後日「おったやろ~」と言われたのを思いだしました。

r:

 竜童組結成寸前までの音づくり
ソロ時代までが,竜童さんの作っている音と自分は一緒に当時時間を過ごしたので,思い入れがあります。
 音源として残していないものも
多いです。コンクリートジャングルもそのひとつ!!
 今後のこのブログ楽しみにしています。

コンクリートジャングルいい曲です!僕は「青春スクランブル」2話と3話のビデオからCDに起こし聞いてます!なので劇中の玉井君とかいいおかぁさんになるのって大変だなというせりふもかぶっててそれはそれでいい効果になっています!ぜひ世に出してほしいです

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