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第06話 『1970年のコンニチワ』

大阪で日本万国博覧会が開催されました。終戦から25年、日本にとってホンマに明るい時代がやって来ました。

 僕も明るくトリオバンドを結成。国際学校のダンスパーティや、ヤマハの5階で行われるアマチュアコンテストによく出ていました。
 レパートリーはというと、レッドツェッペリン、グランドファンクレイルロード、ジミ・ヘンドリックスというあたり。みんながたどったのと同じ道でした。 特に好きやったバンドはツェッペリンとフリー。ポール・コゾフのギターがたまらなく好きでした。

【好きやった曲ベスト3】
1.リビングラビングメイド/レッドツェッペリン
2.影をふんで/フリー
3.腹黒い女/オールマンブラザーズバンド

 当時は邦題がついてる曲が多く、直訳もろのもあったし、全然ちゃうオシャレなタイトルのもありました。 例えばシカゴの“25 or 6 to 4”が“長い夜”など、夢も希望もあったええ時代でした。

 それで、万博。

 どこのパビリオンかは今となっては思い出せないのですが、打ち上げパーティのライヴを頼まれまして、港楽器社からアンプをレンタルついでに軽四も借りて、到着しました万博会場。ところが万博はもう終わっていたので、祭りの後の静けさというか、兵(つわもの)どもの夢のあとと申しますか、もぬけの殻の会場。その上夕方に着いたので、それは寂しい万博でありました。

 楽器をセットし、パーティは粛々と始まりました。そしていよいよ僕らの出番とあいなり、何曲か演奏をし、みなさん盛り上がってきました。

 ここで、ジミヘンの“紫の煙”。ジミヘンをやるのはこの日が初めてやったので、ドキドキしながら始めたんですが、何か変や。アンプがブツブツいってる。ブツブツがバツバツになり、バリバリに変わり、ガーッと絶叫してその上煙を出しだした。

 これにてライヴ終了。音が出ないのはどうしょうもなく、主催の方も「仕方ないネェー」ということで、ゴチソウをよばれて、帰途につきました。
 色々なパーティやコンテストに出ましたが、アンプから煙が出たんはこのとき1回こっきり。それも“紫の煙”の最中(さいちゅう←もなかではない)やなんてシャレがきつすぎました。

 万博事件と前後して、三ノ宮のプールで開かれたアマチュアロックコンテストで見事2位に輝いたこともありました。
 ところが思い出せないことがあるのです。バンドの名前です。どんなバンド名でライヴに出てたのかがサッパリ思い出せません。桂三枝のヤングタウンというラジオにも出たのに、いっこうに思い出せん。そろそろ始まってきたかもアルツハイマー。いやいや困ったもんです。

 このコラムを書き始めてから、断片的に色んなことを思い出しつつ書き進めてるワケでありますが、まだ16才までしかきていない。36年分思い出すのに、やれやれ、あとどのくらいかかるのやら。

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