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第07話 『魚屋の息子、英語でフランス語の授業を受ける』

中学を卒業し、なんとか高校へ進学しました。が、自分の中で「何かが違う、何かが違う」の日々が続いていました。
 例えば髪の毛のこと。子供も、大人も、グループサウンズ(?)も、そして、一部の高校生も髪伸ばしてええのに、なんで僕らんとこは丸坊主やないとあかんのか、素朴な疑問でした。

 その頃、僕は“瘍”(「よう」=オデキのきついヤツ)が頭や顔にたくさんできて、散髪もできないほどひどくなった。しかしこれが逆にラッキーで、結局自然に髪を伸ばすことができてしまった。
 が、長髪禁止の学校が許してくれるわけもなく、協議の結果、病院で包帯を巻いてもらって隠せということになり、頭がフランケンシュタイン的生活を強いられることとなった。
 そのうち瘍も治りはじめ、お医者様も「そろそろ包帯とって散髪していいヨー」と言い、メデタシメデタシなんやろけど、いやちょっと、それは困った。僕は言いました。
「なんとかずっと包帯を巻いとってもらえませんでしょうか?」
 しかしお医者さんもインチキはでけへん。しゃあないので薬局に行き、大量に包帯を購入し、自分で包帯をまいてまだ治っていないことにして登校していました。
 しかしそんな愚かな作戦がいつまでも通じるワケもなく、職員室に呼ばれ、「松浦、オマエ、何考えてんねん。包帯のこと、学校中でバレバレや。ええかげん散髪してくれ!!」とお願いされちゃったりして、先生も気苦労が多いんやなと思いましたが、これだけは譲れません。「まだ完治してないのです。」とウソをつき、その場を切り抜け、フランケンを続けました。

 次の年の1月、髪の問題とは全く違う理由でマリスト国際学校へ転校。
 この学校は、全ての授業を英語で行うインターナショナルスクールでした。平成の世においては多くの日本のお子さんが国際学校へ通う時代になりましたが、当時としてはそれはそれは珍しいことで、「なんで魚屋の息子が横文字の学校行ってんねんやろうか?」と言われたもんです。

 入学当初は特別英語クラスでの特訓、まさに英語漬け。そして9月、いよいよ新学期が始まり、僕は7年生(小学校6年+中学1年)に。「チョットマッテクダサイ、ボクハ10ネンセイ(小学校6年+中学3年+高校1年)デス!!」…そうなんです。英語力がない子は中1にあたる7年生からやり直し。そんな7年生でも始めはついていくのが精一杯。
 しかし、「また中1からかいな」と悲観するかと思いきや、厳しいけれど自由な校風に馴染みまくり、先輩・後輩の変なしきたりのない世界がいかに美しいかを知ることに。そして次の年には1年飛び級して9年生になり、一瞬順調やなと思いました。

 ところがそれがドッコイ、まず日本の学校と解き方がちがう幾何学、科学も記号1つ覚えるのに四苦八苦。そして極めつけはフランス語です。アンドゥートロワも数えられないまま授業に突入し、それも英語での授業やからチンプンカンプン。どっちが英語かフランス語かもわからん時もあった。先生もさすがにお手上げで、1ヶ月ほどでそのクラスをクビになって「ニホンゴノクラス イキナサイ」ということに。
 しかしこっちはこっちでシビレタで。教科書は小学校低学年のもので(このクラスも英語で日本語を教えるねんで)、さすがにこのJAPANESEだけはいつも通信簿はA。そんなジグザグした学校生活でした。

 ここで話も飛び級しますが、一番楽しみやったのが金曜日のダンスパーティ。髪は十分伸びたし、金曜日の夕方が待ち遠しくて。

 神戸にはもう一校「カナディアンアカデミー(CA)」という国際学校があり(ドイツ学校もあるで)、そのCAでのパーティで大村憲司さんのギターを初めて聴き「これは僕もやらんといかんナァ!!」と一発奮起したのです。大村さんは黒のレスポールカスタムを抱え、それはそれはカッコ良かった。司会の生徒さんが「フィルモアでライヴやってきたケンジ」と紹介。いやいや昔からゴッツイ人やったんです。

 そのパーティの日を機に、バンドの猛練習が始まりました。ドラムの細田君、ベースの炭谷カメ君と、ホンマ何もわからんなりにようやったと思います。その結果、ダンスパーティにも呼ばれるようになり、みんな楽しそうに踊ってくれるし、バンドやってるのが楽しくてしゃあなかったナァ。
 バンドの練習もやけど、個人練習もせなあかんので、そのうち学校をサボるようになり、金曜だけ登校して夜のパーティに出るというパターンに。そんなパーティのある日、ブラザーマシュー校長先生にえらい怒られた。「エイゴ シャベレナイヒト バンドダメ!!」・・・あっちゃー、でも、ごもっともでございます。

 実際、英語は中途半端になってしまったけれど、マリストに入学したおかげで、バンドはハンパにならなかった。僕にとってはどんなに素晴らしい芸術大学を出るより誇りに思える「マリスト国際学校」であります。

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