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第11話『前座』

 1972〜3年は関西からいっぱい素晴らしいバンドが出て来た黄金時代です。上田正樹とバッドクラブバンド、ウエストロードブルースバンドなど言いだしたらキリがないくらいにぎやかでええ時代でした。
この頃僕はオールマンブラザーズにハマリッぱなしで、オールマンのコピーバンドをめちゃやりたかったんです。そやけどなかなかメンバーがおらへん。サンフランシスコのノリ君の紹介で森辺浩章君(後にアイドルワイルド・サウスのドラムス)と仲良くなり、「京都へけえへんけ!!」ということに。R大学の軽音楽部でオールマンのコピーバンドをやっているという。学校に着くとデカイ教室からウィッピンポストが聴こえてくる。オーええバンドやナァ。やるナァ!!でもようくみるとギタリストが二人おるでないかい。


ボーカルがよのすけ君で、グレッグオールマンとはちがいオルガンは弾いていない。一発でこのバンドに入りたくなった。しかし、ギターは二人おる、よのすけはオルガンを弾いていない。この図式からもおわかりのようにアマチュア界ではよくある「キイボードおらへんからオマエやるか?」的展開に。ピアノのドの音がどこかもあんまり知らんのにどないすんのん。そやしギター弾きたいし。ここは思案のしどころ、でも持ちまえの安直な考えのもと「ハイやります」ということに。この日から猛特訓がはじまった。安いオルガンを買い、レズリースピーカーがないのでアンプに扇風機を向けてニセのダブラー効果?に満足しながら練習しました。それから2〜3ヶ月でちょっとは弾けるように。夏休みに山梨県甲府のとあるプールでのアトラクションの演奏という仕事が入り、お客さんのまったくいない状態での1日5〜6ステージのライブでだいぶウデあげたナァ!!そやけど2週間程でクビに。2週間でお客さん10人来たか来なかったか。

そして73年8月8日万博会場内、お祭り広場で華々しく開催されたロックの祭典、「8・8ロックデー」に出演。『アトランタの暑い日』のオルガンソロを弾いた。この頃の僕は恐いもんなしの無鉄砲野郎やった。そやからオルガン弾くにしても、他に上手なキーボーディストがいてもへっちゃらでやってました。今考えると一言「アホ」その後もよのすけブルースバンドは学園祭に出たり等々の活動は続いたんですが、上田正樹がバッドクラブバンドを解散することになり、なんとオルガンの僕を新しいバンドのギターにしたいと言うてくれて、2つ返事。よのすけブルースバンドは休憩することになります。

年が明けて74年、キイ坊(上田正樹)、有山淳司、藤井悠の4人でラグタイムとブルースを中心としたバンドのリハーサルが始まった。リハーサルスタジオは高いのでバハマというライブハウスでよくリハをやらせてもらいました。初めてのライブは(最初で最後)神戸ヤマハの5F。その時のレパートリーは覚えていませんが、ギャラだけは覚えている。バンドで千円!!僕達は250円ずつ分けあい「なんか必殺仕置人がお金を分配しているみたいやナァ!!」と高らかに笑ったのでありました。しかししばらくして、僕はこのバンドをやめました。やっぱりグワーンとサザンロックバンドをやりたかったし、キイ坊達はR&Bをやると言うし。そして円満退団の後すぐにサザンロックバンドを始めたかというと、これがまたちゃうんですな。当時神戸で人気のあった"ストロベリージャム" というバンドのお手伝いでまたオルガンを弾くことに。

このバンドはウエストコーストバリバリのええバンドでした。そして74年の8・8ロックデーのコンテストで見事優勝しました。この優勝をひと区切りとし、ついに長年の願いだったサザンロックのバンドを結成しました。バンド名はアイドルワイルド・サウスに決定(後年グレッグオールマンに直接アルバムを渡せる機会があって、グレッグ本人も喜んでくれた。ちなみに2006年7月5日現在、名前の不許可使用に対するクレームはきてないです。)メンバーは、VO.追水君、Dr.上田君、もう1人のドラムはストロベリージャムでいっしょやった新井君、ベースは長谷部君、キイボードはチャールズ君、そして僕の6人組でした。

長谷部君の自宅はナンボでっかい音を出してもOKな環境やったので、お言葉に甘えてバリバリ練習しました。神戸祭りや神戸ヤマハ5Fなどに出演。ええ具合にバンドは大阪にも進出。毎土曜日、梅田のキューピットというロック喫茶への出演も決まった。そのうちおおきな仕事が入ってくることに。それは、神戸国際会館にやってくるプロのバンドの前座という願ってもないありがたい仕事で、それも1度や2度やなかったからホンマにええ経験やったと思います。井上尭之ウォーターバンド、カルメン・マキ&OZ、そしてきわめつけはなんといってもキャロル。キャロルにはシビレタナァ。実は、楽屋にあいさつに行くというしきたりを知らなかった僕等は、井上バンドの楽屋にあいさつに行かず失礼なことをしてしもた。ずっとあとになって井上さんにこのことを詫びたら、思いっきり笑われてしもた。その教訓からキャロルの時はきっちりアイサツに行った。矢沢さんとジョニーさん、内海さんがその時楽屋にいらっしゃった。僕等は思いくそ緊張して必死こいてアイサツした。そしていただいた言葉はひとこと「ヨロシク!!」。大倉さん、内海さんはただニコニコしておられた。ええ話でしょ。

 前座といえば、よのすけブルースバンドの時、サディスティック・ミカ・バンドともやらせてもらった。そらもう必殺前座天国でした。(77年にはレーナードスキナードともやることになるんですが、この話はまた別の機会に!!)その後も前座活動は続き、めんたんぴん、ウエストロードともやりましたが何といってもきわめつきはダウンタウンブギウギバンドの前座につきます。大阪は永和にある映画館を改造したライブハウスにD・T・B・Bが来ることに。当然のように前座で出演。ところが演奏曲目が全部終わったのに「もっとやってくれい」と主催の方に言われ、そのまま延長戦に突入。理由はD・T・B・Bがおくれているということで、その内レパートリーも底をつき、ついにやってはいけない「スモーキン・ブギー」をやってしもた。ところがこれがうけにうけて困ったことに。ありがたい事に「スモーキン・ブギー」をやったことはおこられんですんだ。その後82年に宇崎竜童さんのRU6というバンドに入ることになるんですが、スモーキン話をしたら、宇崎さん腹をかかえて「バカヤロウ!!」と大爆笑してましたナァ。そんなヨレヨレばなしはまだまだつづきます。

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