mobile site

« 第11話『前座』 | メイン | 第13話『ホテルの問題』 »

第12話『ポンタさんはドラムテクニシャン???』

前座活動を重ねつつその年75年の神戸祭りに出演。そしていよいよ8.8ロックデイの夏がやってきた。73年はよのすけブルースバンドで出たがフェスティバル形式やったので勝ち負けはなしやった。74年からはコンテストに形を変えストロベリージャムで優勝したことは前回書きましたが、今回はやっと結成したアイドルワイルドサウス。どないしても優勝したかった。

この頃すでにいくつかのレコード会社からお話をいただいてはいましたがどれも「よしやるぞ!すぐに東京へ来い!!」ではなかったので難しいことは8.8が一段落してからでええかと。そんなお気楽な感じでした。しかしバンド内は決してバッチリというわけではなかった。何回もメンバーの交代が続き8.8の後に初めて行った東京ツアーの後には森辺君と二人だけになっていました。今、振り返るとその頃の僕はワンマンでキツーイはっきりした性格やった。そやからバンドのみんなもさぞしんどかったやろうなと思います。

その東京ツアーのメンバーは松浦、森辺、チャールズ、ギターで加入した今村君、そしてベースはその後ツイストの再結成にも参加してくれた東山光良というバンド結成時からのメンバーはチャールズと僕だけという形でした。ところがこのバンドが東京でゴッツイうけた。同じメンバーで参加した夕焼け祭りでもうけた。そしてツアーの合間にレコード会社数社のオーディションを受け、その中でビクターはすごく気に入ってくれました。そやけど、「活動できませんねん」と正直に話し、神戸へ帰りました。話は前後しますが8.8は見事落選。いやあ、ホンマ悔しかったなあ!

そんな時夕焼け祭りを主催し小松をベースに活動している「めんたんぴん」とごっつい仲良くなりバンドがしばらく出来ないのでローディをやらせてくださいとお願いし、半ば押しかけ女房的ローディはめんたんぴんについてまわることに。そしてこの短いローディ時代にバンドの運営方法、物の見方、考え方を十分勉強させてもらえました。そんな大好きなめんたんぴんでしたがいつまでもアイドルワイルドサウスをほっとくワケにはいかへん。「一からやり直さなアカンで」とめんたんぴんのメンバーも言ってくれたので神戸へ帰ることにし、メンバーをさがしました。

キーボードは難波正司。マリアというバンドをやっていた難波君はそれまでプログッレシブなロックを得意とするピアニストでしたが、よーしやってみるかと参加してくれました。後に彼のお母さんから聞いた話では、ブルースやオールマンの音楽を死ぬほど練習したそうです。難波君とは桑名正博さんのバンド、西岡たかしさんのバンド等でもいっしょでした。今はカリフォルニアでバリバリ活躍しています。
ドラムは池本忠則。周知神というバンドをやってました。池本君は抜群な8ビートを叩き出すドラマーです。『今日もオイラは』の最初の4小節は池本ソロです。今、神戸の東灘区で“ボガージュ”というケーキ屋さんをやっています。池本君のシュークリームは世界一うまいです。
ギターは神戸のライブハウス「サンダーハウス」で知り合った藤井清和。藤井君はメチャスイートなトーン、そして的確なプレーが出来るギタリストです。ちなみに録音時、僕はメインギターがなくて藤井君のSGを借りていました。レコードジャケットでは二人共SGをかかえていますが実は同じソリッドギターやったわけです。
そしてベースは清昌弘。ストロベリージャムでいっしょにやってた清とはいつかバンドやろなとずっと話してました。東京の公衆電話から何回電話かけてくれたことか。10円玉の落ちる音が忘れられへんです。
森辺君は勤めていた会計事務所を辞め帰ってきました。ヒロはピーターさんをはじめ最近では冴樹みずほさんの『月の滴』をプロデュースするなど大活躍しています。冴樹さんのアルバムにオールマンぽい感じの曲があるそうで早速聴かなあきません。

やっと6人がそろいバンドのコンビネーションもバッチリ。オリジナルもバリバリ出来てこの時、誰1人としてこのバンドが短命に終わるとは思ってなかったでしょう。
6人乗りのトラックを買いやっと日本中ツアーできるようになり、お客さんもだんだん増えてきて考えられへんくらいゴッツイライブやった夜が何度もありました。

そしてついにRECORDINGが始まります。何しろはじめてのことやから右も左もわからへん。まずドラムの音が決まらへん。みんなで知恵をしぼってこのとき思いついたのがドラムをええ音にしてもらうチューニングを村上ポンタさんにお願いしようという荒業。それはもうダメもとでお願いしました。そしてスタジオに現れたポンタさんに一同最敬礼。どえらい感動しました。そしてドラム2台はメチャええ音に!!
今でもポンタさんに会うとこの時の話が必ずでて「オレにチューニングだけやらせたのはあとにも先にもオマエらだけや!!」とニコニコ笑いながら怒ったフリをしてくれます。ホンマに無茶なお願いをきいてくれたポンタさんにあらためて有難うございますです。

現代社会においてはドラムをチューニングするドラムテクニシャンは当たり前になっていますが時は1976年、おそらく日本ではじめてそれを実現したのはポンタさんではなかったかなーと、考えたりします。

日本一のドラマーは日本初のドラムテクニシャンやったワケであります???

関連記事:

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://newtraxx.co.jp/matsuura/column/mt-tb.cgi/13

コメント (1)

r:

 4年前でしたか、一ファンとして難波さんにメールでれんらくしたところ、ご丁寧にも返事が戻ってきたことがありました。感激でした。私はマリアのことが詳しく知りたくて…。メールの返事では昨日は桑名さんとメールで連絡したといってました。
 マリアのメンバーで唯一活動しているのが難波さんと岩井真一さんなんです。稲垣潤一氏のバックをつとめた岩井さんです。松浦さんは交流ないですか?
 ほかにもドラマーの方はキャンディーズのバックをつとめたときいたところです。たぶん、関戸研二さんでないほうです。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

ヴォーカリスト募集!

About

testtagに投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「第11話『前座』」です。

次の投稿は「第13話『ホテルの問題』」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

track feed
ドメイン所得が格安! ホスティングサービス・パンドラ
[admin]  
[ed]